Technical

2025年05月30日

テクニカルコラム

テクニカルコラムNo.22 光電子分光法(XPS)による薄膜密着現象の分析

. はじめに

有機金属化合物 オルガチックスは、下塗り層であるプライマー膜形成材料や塗材への添加剤として使用することで、密着性を向上できる製品です。この密着性の向上効果は、碁盤目試験等の物性評価で確認することができます。物性評価によって密着性が向上するか否かは判定できますが、どのような化学結合が密着性に関与しているかの分析は困難と考えていました。
調査を進めてみますと、化学結合の状態を分析した例がとして、高機能フッ素樹脂コーティングの密着性向上メカニズムに迫る SPring-8を使った解析で製品の信頼を後押しする。がありました。
この報告例では、XPSを用いて基材とコーティング膜界面の化学結合を分析しており、本方法を用いることによって様々な膜と基材界面の密着性発現のメカニズムが明らかになると考えます。今回は、この密着性に寄与している化学結合状態の機器分析による評価の可能性についてご紹介します。

. コーティング膜と基材界面の分析例

-1. EDS/AESを用いた無機化合物膜の密着性発現メカニズムの分析例

無機化合物のコーティング膜と基材界面を分析した例として、Ti薄膜/Si基板の界面構造と密着性という文献があります。この文献では、Siウェハ上にTi薄膜を形成するにあたり、Siウェハ上をArイオン(Arイオンボンバード)、または希フッ酸を用いたそれぞれの前処理による、Ti薄膜の密着性の差を評価しています。結果、Siウェハを希フッ酸で処理した方が、Ti薄膜の密着性が高いことが示されました。

この理由を明らかにするため、複数の分析が行われています。X線を活用した分光分析の一つEDS(エネルギー分散型X線分光法)を用いたTi/Si界面部の分析では、希フッ酸処理ではTi-Si混合層のみが認められた一方、Arイオンボンバードを行った場合、当該層内にArが含有されていることが示されています。
RBS(ラザフォード後方散乱分析法)により、Arイオンボンバードを行った後のSi表面の分析結果から、Arを含んだSiの非晶質層の存在が示され、前述のEDSの結果を裏付けたとの言及が認められます。さらに、薄膜界面を含む厚さ方向の元素分布をみるため、SIMS(二次イオン質量分析法)、並びにX線分析の一種であるAES(オージェ電子分光法)を行い、Arイオンボンバードを行ったSi側の界面付近にArが残留していること、またTiSi層への拡散が進行していないことを、それぞれ明らかにしました。
以上の結果から、Arイオン本バードを行った場合、表面に不活性なArイオンが残存し、かつTiSi層へ浸透しにくいことが、希フッ酸処理の場合と比較し、Ti薄膜/Si基板の密着性が低い理由であると結論づけていました。

このように、密着界面での現象を把握するにあたってはX線だけではなく、イオンや質量分析との組み合わせが必要であることがわかります。

-2. X線を用いた有機化合物膜の密着性発現メカニズムの分析例

有機化合物のコーティング膜と基材界面を分析した例としてPhysical and chemical imaging of adhesive interfaces with soft X-raysがあります。
この文献では、プラズマ処理したPEEK基材上にビスフェノールA型エポキシ樹脂を4,4’-ジアミノジフェニルスルホンで熱硬化した膜(DGEBA-DDS)を形成し、その界面の結合状態をXRF(蛍光X線分析)とXAS(X線吸収分光法)によって直接観察しています。
XRFN KαとF Kαに着眼し、水酸基とアミン基の存在有無を分析することで、DGEBA-DDS 、並びにPEEKと当該材料のプラズマ処理有無状態を分離することに成功しています。
この結果から、プラズマ処理したPEEKDGEBA-DDS の層に拡散している様子が確認できています。またXAS分析では530から533eVのエネルギー帯に着眼し、PEEK由来のπ*遷移を示すカルボニル基のC=OPEEKがプラズマ処理されて表層に出現したカルボキシ基由来のC=O、そして当該表層の官能基とDGEBA-DDSが結合することで出現するエステル結合由来のカルボニル基を分離しています。
この結果と深さ方向のXRFを照らし合わせることで、プラズマ処理されたPEEKDGEBA-DDSの深さ15μm以上に到達していることが示されています。これらの結果によって、プラズマ処理されたPEEK表面のカルボキシル基とエポキシ樹脂の水酸基とのエステル化が生じており、かつ、その反応領域は密着界面よりもDGEBA-DDS側に15μm以上深いところに及んでいることが示されています。プラズマ処理が密着性に有効であり、また当該処理によって生じたPEEK/ DGEBA-DDSの結合が密着性に寄与している可能性を明らかにし、軟X線が密着界面の分析に有効であると述べられています。

-3. 各分析手法の用途と長所・短所

2報の文献で使用された分析手法についてその用途を表1、長所、短所を表2に示します。各種分析方法は、膜上の元素の種類を確認するのか、それとも結合状態を確認したいのかなど目的に応じて、いくつかの手法の組み合わせを行うことが好ましいと考えます。
その中でコーティング膜と基材界面の結合状態の分析には、原子の結合状態や価数を高精度で識別可能なXPSが最適と考えます。

<表1. 各種分析手法とその用途>

分析手法

用途

EDX

「ざっくり」組成を見るのに便利(深い・速い)。

RBS

膜厚・層構造解析に特化。深い領域を非破壊で見られる。

SIMS

微量・同位体分析、深さプロファイルをナノスケールまで分析可能である。

XAS

放射光が必要だが、局所構造や酸化状態の決定に強みを発揮する。

XPS

表面の「化学状態」の分析に適している。結合状態・価数・界面変化の分析に最適であり、表面処理や薄膜に強い。

<表2. 各種分析手法の長所と短所>

分析手法

長所(メリット)

短所(デメリット)

EDX

・簡便で迅速

比較的深い領域まで分析可能(µm

・幅広い元素範囲(Na以降)

・軽元素(LiNe)の検出困難
・定量精度は高くない
・薄膜や界面評価には不向き

RBS

・絶対定量が可能(標準不要)
・非破壊で膜厚・深さ分布が取得可能
・元素の深さプロファイルに強い

・軽元素の識別が難しい
・元素分離性がやや低い
・専用装置とイオン源が必要

SIMS

・非常に高感度(ppbレベル)
・同位体分析も可能
・高精度な深さ情報が得られる

・試料の破壊が伴う(スパッタ)
・定量性が低い(標準試料が必要)
・マトリックス効果の影響が大きい

XAS

・元素選択的で局所構造解析に優れる
・価数・配位数・結合距離などのデータ 

を定量的に取得可能
・蛍光法でバルク材料も解析可能

・放射光施設が必要
・測定と解析に時間と熟練が必要
・空間分解能が基本的に無い

XPS

・表面の高感度分析
・元素の化学結合状態や価数まで解析可能
・定量的な元素組成比評価に優れる

・真空下での測定が必要
・深さ方向の情報は限られる
・検出感度はSIMSより劣る

. XPSによる密着性向上に寄与する化学結合の状態分析

Ⅱ項では、文献を通じたコーティング膜と基材界面における密着性発現メカニズムの分析として、5種類の分析法を述べました。その中で、今回は、非破壊で元素の化学状態から化学結合を解析できるXPSの原理とその種類について紹介します。

-1. 光電子分光法(XPS)の分析原理

-1-1. アインシュタインの光電方程式で示されるエネルギー保存則が基本

光電子分光法(以下、XPS)では、アインシュタインの光電方程式というエネルギー保存則を技術的な基本とした分析を行います。X線を物質に照射すると、励起された原子から光電子が放出されます。この光電子を補足して運動エネルギーを測定します。

光電子の放出過程はアインシュタインの光電方程式として以下の式で表すことができます。

Ebhν-φ-Ek

Ek:測定運動エネルギー
h:プランク定数
ν:振動数
φ: 固体の仕事関数
Eb:結合エネルギー(束縛エネルギー)

-1-2. エネルギー収支により結合エネルギー(Eb)を算出

前述で計測すると述べたエネルギーはEkXPSによる計測値)であり、測定で用いるX線の光子エネルギーhνは一定です。固体の仕事関数Φはその個体の表面から電子を取り出すのに必要な最小エネルギーです。仮に測定対象がΦ既知の材料であれば、上述のアインシュタインの光電方程式により、結合エネルギーEbを算出することができます。

Ebは束縛エネルギーとも呼ばれ、原子核に束縛されている内殻電子をたたき出すのに必要なエネルギーに該当します。この結合エネルギーは元素ごとに固有の値を有している上、酸化による影響や化学結合による電子密度の変化によって変わります。この結合エネルギーと光電子強度の関係をスペクトル(光電子スペクトル)として表すことによって、構成元素の同定に加え、それらがどのような結合状態であるかを分析することができます。

-1-3. XPSによる分析

XPS MgKαAlKαなどの軟X線を物質に照射することで前出のEbを算出し、光電子スペクトルを取得することで、結合状態を知ることができます。この手法で測定できる深さは、310nm程度となります。X線の照射で発生する光電子は、試料内部で原子や電子と衝突してエネルギーを失うことがその背景にあります(非弾性散乱)。
また、3nm以下の薄膜については、当該膜を通過したX線により、その土台である基材由来の光電子が混在するため、適切な分析が難しいとされています。

-2. 角度分解X線光電子分光(ARXPS)による分析

XPSと同様にMgKαAlKαなどの軟X線を物質に照射して光電子を発生させます。XPSとの違いは、角度を変えて測定する点にあります。光電子を低角度で測定することにより、表面近くの光電子が主に検出されます。前出のXPSの測定角度は90°であり、例えば深さ5nmから放出された光電子は5nm進めば表面に到達して情報が得られます。10°の角度で測定した場合はどのようになるでしょうか。
光電子が放出された角度θに対して縦方向にどれだけ情報があるかを調べるために通常cosθを使用して考えますcos10°)を計算してみますと、得られる情報の深さはcos10°)≒0.52nmとなります。このように、表面近傍の光電子のみ検出可能となるため、この分析方法では、表面の数nmの深さを測定することができます。

-3. X線光電子分光(HAXPES)による分析

-3-1. X線光電子分光(HAXPES)の概要

使用するX線に、高エネルギーの硬X線を使用することが特長です。高エネルギーのX線を使用することで、XPSと比較してより深い領域を測定できることが特徴です。HAXPES の測定深さは10~50nm程度です。高エネルギーのX線を照射すると、光電子の運動エネルギーが増加するため、XPSと比較してより深い位置で生じた光電子を検出することができます。
ただし、測定対象が10nm以下の膜については、当該試料を貫通したX線によって、試料の下層にある基材からの光電子が混ざるため、測定対象の正確な光電子スペクトルの取得が困難となります。

-3-2.シンクロトロン放射光を用いたHAXPES

電子を光速近くまで加速し、その軌道を曲げることで発生するシンクロトン放射光を使用したHAXPESです。電子の進行方向の変化の大きさといった条件の違いにより、高波長の赤外線から短波長の硬 X 線までの幅広いシンクロトロン放射光を得ることができます。このシンクロトン放射光で硬 X 線を発生させる場合、通常のX線源よりも10000 倍以上明るいX線を発生させることができます
このX線を生む装置としては世界最高水準の高エネルギーX線放射光施設であるSPling-8に加え、SPling-8よりは小型ですが量子科学技術研究開発機構の放射光施設等あります。上述のシンクロトン放射光で得られた硬X線を用いることで、50nmを超える深さの分析が可能となります。

-4. 各光電子分光法と測定深さについて

これまで、4つの光電子分光法について紹介してきました。X線のエネルギーと測定深さには相関関係があり、X線のエネルギーが高いほど測定深さは大きくなります。また、X線の入射角度が小さいほど、表面近傍の分析に適していることがわかります。

<表-1. X線を使用した分析方法と測定深さ>

分析方法

測定深さ

X線光電子分光法(XPS

110nm

X線光電子分光(HAXPES)

50nm

角度分解X線光電子分光(ARXPS

nm

シンクロトロンHAXPES

100nm

各分析方法の測定深さは、以下の情報や文献を参考とした。

・ X線光電子分光法(XPS):IRAMIS - X-ray Photoelectron Spectroscopy (XPS)
・ 硬X線光電子分光(HAXPES)Tougaard S. (2023). HAXPES: Inelastic background for characterization of nanostructured materials. Surface and Interface Analysis.
・ 角度分解X線光電子分光(ARXPS):Fredriksson W. et al. (2012). Full depth profile of passive films on 316L stainless steel based on high resolution HAXPES in combination with ARXPS. Applied Surface Science.
・ シンクロトロンHAXPESTougaard S. (2023). HAXPES: Inelastic background for characterization of nanostructured materials. Surface and Interface Analysis.

金属酸化膜、インキ、塗料等、コーティング膜に関しては、様々な膜厚で構成されています。これらの密着性に関してその結合状態を調べるためには、どの程度の膜厚であるかによって分析方法を選択する必要があります。

. 有機金属化合物を用いた膜への応用

有機金属化合物であるオルガチックスはゾルゲル反応等によって、基材上に金属酸化膜を形成することが可能です。また、インキや塗料に添加することで基材との密着性を向上させることができます。
例えば当社製品のオルガチックスPC-200は、プライマーや高屈折率膜形成材料として使用でき、膜厚としては、約100nm以下の膜厚を形成できます。当社製品のプライマーについては、以下のような紹介動画があります。

このようなオルガチックスによるコーティング膜は、仮説として基材との共有結合、Ti-OHによる水素結合、基材表面の官能基のTiへの配位等によって密着性が発現していると考えられます。
今回ご紹介したXPS分析は、分子レベルで界面の化学結合を分析することができるため、これまで仮説としていた密着性発現機構を解明することができると考えます。密着性発現機構を解明することによって、これまで密着性向上が困難であった基材に対して、新規な官能基の導入やTiZrAl以外の金属の使用等、新たな化合物の開発につながると考えております。

. 最後に

今回は、密着性向上効果の発現における結合に着目し、その分析方法の一つである光電子分光法についてご紹介いたしました。密着するか否かについては、碁盤目試験等の物性評価で判断することが多いです。
しかし、密着性がどのような結合で発現するかを明らかにすることができれば分子設計に必要な情報が得られるため、新たな密着性向上剤の開発指針検討の一助になると考えます。今後、当社においても自社製品への分析方法の有効性検証を進め、製品開発への活用検討を進めていきたいと考えております。

 

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